プロフィール・経歴

「動ける時間」を長くする専門家|「まだできる」を支える訪問鍼灸師

約4年間で延べ約3万人の施術を経験。女子サッカーチームのトレーナー経験も持つ訪問鍼灸師。

体育教師を目指すも、推薦入試の実技試験で怪我を負い、その夢を断念。

治療を通じて出会った鍼灸に感動し、「痛みや不安で悩む人の砦になりたい」と鍼灸師の道へ。

ところが、鍼灸師になってからも約半年間ほとんど施術に入れず、「もう辞めよう」と思うほどの挫折を経験。

それでも周囲に支えられ、何度立ち止まっても、また動き出してきた。

だからこそ今、大切にしているのは「歩けなくなることを防ぐこと」「自分の身体で動ける時間を一日でも長くすること」。

身体だけでなく、その方の不安やご家族の想いにも寄り添いながら、「まだできること」を一緒に探し続ける鍼灸師を目指している。

-資格・活動実績-

国家資格: はり師・きゅう師
施術実績: 約4年間で延べ約3万人を施術
活動実績: 女子サッカーチームのトレーナー帯同、鍼灸整骨院勤務時に1日20人以上の施術を担当

何度立ち止まっても、また動き出す。私が「動ける時間」を一日でも長くしたい理由

私が施術をするうえで、特に大切にしていることがあります。

「歩けなくなることを防ぐこと」

そして、

「自分の身体で動ける時間を、一日でも長くすること」

です。

痛みを和らげることも、関節を動かしやすくすることも、もちろん大切です。

でも、その身体で毎日を過ごすのは患者さん自身です。

自分の足で歩く。

自分の手で物を持つ。

自分でできることを、できるだけ長く続ける。

そんな時間を少しでも長くすることが、私の仕事だと思っています。

なぜ私がそこまで「動けること」を大切にするのか。

振り返ってみると、私自身の人生も、順風満帆とはほど遠いものでした。

夢に向かって走っては、転ぶ。

「今度こそ」と立ち上がって、また壁にぶつかる。

それでも、そのたびに誰かに支えてもらいながら、もう一度動き出してきました。

少し長くなりますが、そんな私が鍼灸師になり、今この仕事をしている理由をお話ししたいと思います。

ちくわをストローにして大号泣。怖がりなのに好奇心旺盛な子どもでした

院長の中西秀章の幼少期の写真
院長の中西秀章の幼少期の滑り台で滑っている写真
院長の中西秀章の幼少期の家族写真

1995年4月、京都府南丹市で私は生まれました。

約3,300グラムの元気な子だったそうです。

母曰く、陣痛が来てから23時間、母のお腹に隠れていたそうです。

母から離れたくなかったんでしょうね……笑

幼少期から小学生の頃は、とても泣き虫で怖がり。

特に高いところが苦手なくせに、好奇心は旺盛で、後先考えずに遊んではドジを踏んで泣きじゃくる子どもだったそうです。

特に覚えているのが、おでんのちくわ。

なぜか、ちくわをストローにして熱々のお出汁を吸ってしまい、大泣きしました。

それ以来、ちくわは咥えなくなりました……笑

この頃は塾へ通ったり、水泳教室やバドミントンをさせてもらったりと、両親にはいろいろな経験をさせてもらいました。

本当にありがとう。

ただ、勉強は大の苦手。

その代わり図画工作が大好きで、よく表彰されていたような気がします。

車やドラゴンボールの絵を描いては片付けず、母にはよく怒られていました。笑

怖がりなのに、興味を持ったらとりあえずやってみる。

今思い返してみると、そんな性格は、この頃からあまり変わっていないのかもしれません。

「こんな先生になりたい」——体育教師という夢をくれた恩師との出会い

中学に入ると陸上部に入り、とにかく練習していました。

勉強は相変わらず苦手で、学校が終われば走ったり、草野球をしたり、ゲームをしたり。

とにかく身体を動かして遊ぶことが大好きでした。

しかし、中学2年生の途中には、起立性低血圧で学校を休むことも多くなりました。

そんな中学時代に出会ったのが、陸上部の顧問の先生です。

元実業団選手で、女子駅伝の京都代表チームのコーチもされていて、勉強もできて、字まで綺麗。

当時の私からすれば、

「もう、すんごい人」

いや、「すんごーーーーい人」

でした。

そんな雲の上のような存在だった先生から、陸上だけでなく、今の自分にもつながるたくさんのことを教えていただきました。

そして、

「自分もこんな体育教師になりたい」

と思うようになりました。

この時期は特別なものなのか、この頃に出会った親友とは、今でもよく会います。

真面目な話をしたかと思えば悪ふざけをして、そうかと思えば、また語り合う。

いつかの偉人のような語り口になりましたが、まだ偉人ではありません。

まだ。これからということで。笑

話を戻すと、私の中学生時代は人との出会いに恵まれていたと思います。

自分から部長になったのにボイコット。人間関係に悩んだ高校時代

そんな中学生時代を経て高校へ進学し、高校でも陸上部に入りました。

本当はバドミントンか野球もやってみたかったんですけどね。笑

高校の3年間を振り返ると、人間関係で大きく悩んだ時期でした。

部員たちとはよく揉めました。

喧嘩に近い状態になることもしばしば。

顧問の先生ともよくぶつかりました。

そして、自分から部長に立候補しておきながら、ボイコットまでしました。

なかなかの強者でしょ?笑

今思えば、本当に迷惑をかけまくっています…はい…。

でもそんな私に同期は、

「戻ってこい!」

と言ってくれました。

先生方の中にも、

「自分が納得するまで考えていいから」

と声をかけてくださる方がいました。

本当にありがたいですよね。

あの頃の私は、自分の考えを上手く伝えることも、人と上手に付き合うこともできなかったのだと思います。

じ、じ、じぶん、ぶ、ぶ、不器用ですから。

それでも、そんな状態でも、見放さずにいてくれる人がいました。

そのおかげもあり、3年生の頃には人間関係も少しずつ落ち着き、陸上では近畿大会に出場することもできました。

そして、中学生の頃から抱いていた、

「体育教師になりたい」

という夢も、どんどん大きくなっていきました。

体育教師になるはずだった。実技試験での怪我が変えた私の人生

体育教師になるため、推薦入試を受けました。

ところが、その実技試験で怪我をしてしまいました。

まさか、体育教師になるための試験で怪我をして、その夢を諦めることになるとは思ってもいませんでした。

肉体的にも痛かった。

でも、それ以上に精神的に痛かった。

ずっと目指してきた体育教師という道を諦めた、人生で最初の大きな挫折だったと思います。

ただ、その怪我が、まったく別の道へ私を連れていくことになります。

怪我を治療してもらう中で出会ったのが、今の私と同じ鍼灸師でした。

施術を受け、身体が大きく変わっていくことに驚きました。

自分自身が痛みや不安を抱えていたからこそ、その変化が本当に嬉しかった。

そして思いました。

「自分も、痛みや不安で悩んでいる人の砦になろう」

体育教師になる夢は叶いませんでした。

でも、あの怪我がなければ、鍼灸師という仕事にも出会っていなかったかもしれません。

一度止まってしまった私の人生が、ここからもう一度動き始めました。

勉強嫌いだった私が、人生で一番勉強した大学時代

そこからはバタバタでした。

大学の最後の募集に飛び込み、結果が分かったのは高校卒業後。

先生方や友人たちにもたくさん励ましていただき、なんとか新しいスタートを切ることができました。

そして大学生活。

とにかく勉強が苦手だった私には、なかなか大変でした。

新しい専門分野。

苦手な語学。

実技。

毎日必死でした。

特に3年生からは大変で、今までの人生で一番と言っていいほど試験勉強に明け暮れました。

この先も、あれ以上勉強することはないんじゃないか?と思うくらいです。

そして、勉強と並行して毎日のようにアルバイトもしていたので、学校かアルバイトの記憶ばかりで、遊んだ記憶はほとんどありません。

その甲斐もあって、2017年に鍼師・灸師の国家資格を取得することができました。

「これでようやく鍼灸師としてスタートできる」

そう思っていました。

ところが。

ここから、人生2回目の大きな挫折が待っていました。

半年間、施術人数ほぼゼロ。「鍼灸師を辞めよう」と思った修業時代

卒業後は、

「とにかく多くの方を施術して、腕を磨きたい」

と思い、当時でもかなり大規模だった鍼灸整骨院へ就職しました。

ところが、同期たちは次々と施術に入っていくのに、私はなかなか入れません。

技術も未熟。

コミュニケーションも大の苦手。

体力もない。

どんどん置いていかれました。

院の異動も、同期の中で一番多かったと思います。

そして約半年間、私はほとんど施術に入ることができませんでした。

「自分は鍼灸師に向いていないんじゃないか」

本気で辞めようと考えました。

体育教師の夢が終わって、ようやく見つけた新しい道。

その道でも、また立ち止まってしまいました。

施術人数ほぼゼロから、1日20人以上へ。私をもう一度動かしてくれた人たち

院長中西が女子サッカーチームのトレーナー活動している様子
院長の中西秀章が女子サッカーチームのトレーナー活動している様子
院長の中西秀章が女子サッカーチームのトレーナー活動している様子
院長の中西秀章が女子サッカーチームのトレーナー活動している様子

転機になったのは、新人時代の最後に異動した院でした。

当時の院長には、とにかくいろいろなことに挑戦させていただきました。

先輩方も、私の練習にずっと付き合ってくださいました。

できなかったことを練習する。

またやってみる。

うまくいかなければ、また練習する。

それを繰り返しました。

すると、ほとんど施術に入れなかった私が、1年後には毎日20人以上を施術させていただけるまでになりました。

女子サッカーチームのトレーナーとして活動する機会もいただきました。

帯同中は大きな怪我を防ぐことに力を入れ、シーズンを通して大怪我ゼロを達成することもできました。

休日には、大学では学ばなかった施術を学ぶためにセミナーへ。

苦手だったコミュニケーションも少しずつ取れるようになり、専属で担当させていただいたり、ご紹介をいただいたりすることも増えていきました。

約4年間で、施術した方は約3万人。

一度は、

「鍼灸師を辞めよう」

とまで思った自分が、多くの患者さんに頼っていただけるようになりました。

私一人の力では、ここまで来られなかったと思います。

高校時代に「戻ってこい」と言ってくれた仲間がいたように、このときも、もう一度動き出すきっかけをくれた人たちがいました。

来られなくなったら、それで終わりなのか?独立を考えたきっかけ

院長の中西秀章が訪問施術をしている写真
院長の中西秀章が訪問施術している様子

会社員として、多くの患者さんを施術する毎日はとても充実していました。

でも、3年ほど経った頃から、ある思いが少しずつ大きくなっていきました。

ご高齢の患者さんを担当していると、それまで通ってくださっていた方が、ある日から来られなくなることがあります。

身体が弱ってしまった。

歩いて通うことが難しくなった。

そんな方を見ながら、

「このまま寝たきりになってしまうのかな……」

と思うことが増えていきました。

なんだか、寂しかったんです。

自分が持っている技術でもっとできることがあるんじゃないか。

もっとその人に寄り添うことができれば、できることがあるんじゃないか。

「通えなくなったら、そこで終わりにはしたくない」

そう思うようになりました。

だったら、自分から会いに行けばいい。

そして2023年、京都府宇治市で「実現鍼灸院 宇治店」を開院しました。

私が守りたいのは、「動ける時間」です

院長の中西秀章と患者さんと2ショット
院長中西秀章と患者さんの2ショット

訪問施術を始めてから、以前にも増して感じるようになったことがあります。

歩けること。

手を動かせること。

自分で身体を起こせること。

私たちが普段何気なくしている一つひとつの動作は、決して当たり前ではないということです。

だから私が特に大切にしているのが、

「歩けなくなることを防ぐこと」

そして、

「自分の身体で動かせる時間を、一日でも長くすること」

です。

私は施術するとき、症状が出ている場所だけにこだわりません。

身体は一つの場所だけで動いているわけではないからです。

関節の動き、身体全体のバランス、その日の体調。

さまざまな角度から身体を見て、

「今、この方にできることは何だろう」

と考えます。

脊柱管狭窄症によって歩くことが難しくなった方。

脳血管障害によって身体に麻痺や拘縮がある方。

関節が動かしにくくなっている方。

一人ひとり身体も違えば、生活も違います。

だからこそ、その日の身体を見ながら、その方に合った施術を考えることを大切にしています。

「伸びなかった肘と手が伸びた!」この仕事を続けてきてよかったと思えた瞬間

忘れられない患者さんがいます。

それまで、拘縮によってほとんど伸びなかった肘と手があり、痛みも抱えていらっしゃいました。

施術を続ける中で、その患者さんからこんな言葉をいただきました。

「今まで全くと言っていいほど伸びなかった肘と手が伸びた、開いた!痛みも減っただけでもありがたいのに、こんなにありがたいことはない!」

その言葉を聞いたとき、

「やってよかった。支えてきてよかった」

と心から思いました。

また、

「前より歩けるようになった!」

「少しずつ生活が楽しくなってきた!」

「来てくれてよかった!」

そんな言葉をいただけることもあります。

本当に、鍼灸師を辞めなくてよかったと思います。

私を頼ってくださる方がいることが、ありがたい。

嬉しい日は、本当にスキップして帰っています。笑

何度止まっても、また動き出せる。私はそう信じています

院長の中西秀章と患者さん達との写真

振り返ってみれば、私自身も何度も立ち止まってきました。

高校では人間関係に悩み、自分から部長になったのにボイコットしました。

体育教師という夢は、怪我によって諦めました。

ようやく鍼灸師になっても、最初の半年間はほとんど施術に入れず、本気で辞めようと思いました。

決して、順調な人生ではありませんでした。

でも、そのたびに誰かが声をかけてくれました。

「戻ってこい」と言ってくれた仲間がいました。

新しい道へ進む私を励ましてくれた先生や友人がいました。

できない私の練習に付き合い、挑戦させてくれた院長や先輩がいました。

そして私は、そのたびにもう一度動き出すことができました。

だからでしょうか。

今、患者さんの身体を前にしたときも、

「まだできることがあるんじゃないか」

と考えます。

もちろん、すべての症状が思い通りに変わるわけではありません。

できないことを、できるとは言えません。

それでも、今できることを一緒に探すことはできる。

身体の状態だけではなく、辛かった気持ちや、ご家族が抱えている思いにも寄り添いながら、私にできることを最大限やりたいと思っています。

私がずっと大切にしている言葉があります。

「人は必ず、どこからでも笑顔になれる。笑顔は分かち合えるもの」

自分の身体で動ける時間を、少しでも長く。

できることを、少しでも長く。

そして、その先にある毎日の笑顔を、ご本人だけではなくご家族とも分かち合えるように。

私はこれからも鍼灸師として、皆様の健康と笑顔を支えていきたいと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

関わるすべての方に、笑顔と動ける毎日を。

これからも一人ひとりの生活に寄り添い続けていきます。

実現鍼灸院 宇治店

中西 秀章